地の果て ウシュアイア・ペリトモレノ

アルゼンチン・ウルグアイ
f0032712_10411436.jpg県費留学生として鹿児島大学に1年間留学していたフリアンからペリトモレノ氷河の素晴らしさを聞いていた。
ついでに、南米大陸の最南端フェゴ島のウシュアイアまで足を延ばすことにした。
5年間のうちに何人かの留学生が来ていたので彼らにも会いたかったので5年ぶり2回目のアルゼンチン旅行をすることにした。
ルートは、成田~ニューヨーク~ブエノスアイレスである。このルートが一番安くて近い。成田ニューヨーク間は、13~14時間、料金は48,000円。ニューヨーク・ブエノスアイレス間も13~14時間料金は68,000円である。(もちろん往復料金)






f0032712_10431427.jpg着いた日は、田上さんの子供たち、これまでに鹿児島に留学した者、これから留学予定の者、大勢の若者が、マルデルプラタ市やキャピタルフェデラルではないほうのブエノスアイレス市を案内してくれた。
キリメスと言うビール工場の併設レストランでビールを飲みながらの食事は楽しくて美味しかった。
マルデルプラタの博物館は圧巻だった。


上は、ラプラタ川のほとり



下は、マルセーラとクラウディアと教会の前で撮った写真













f0032712_10474350.jpg前回同様、アルゼンチン鹿児島県人会の田上
さんの家に泊めていただいた。
バストイレ付の部屋が4室、リビングの大理石
のテーブルの長さが12メートルと言うようなお宅である。県人会の皆さんが歓迎会を開いてくださった。
ペリトモレノ氷河があるカラファテは、ブエノスアイレスら南へ飛行機で5時間位かかるところにある。
カラファテやウシュアイアのホテル、ブエノス~カラファテ~ウシュアイア~ブエノス間の国内線チケット30,000円は、シルビアのおじさんが旅行社をしているのでEメールで連絡を取り手配してもらった。







f0032712_10501346.jpgカラファテからペリトモレノ氷河へは、現地発ツアーを手配してもらった。バスで2時間の距離にある。
ホテルに着いたとき疲れていたので寝た。芽が覚めて朝食を取り、迎えのバスを待っていたが来ない。バス会社に電話したら明日の朝、行きますとの返事だった。なんと夕方と朝とを間違えたのだった。
ホテルには、カタリーナと言う名前の可愛い娘がいて英語で話し相手をしてくれた。別れるときは抱き合って頬にキスする挨拶をした。日本でも若い娘に限ってこのような挨拶をしたいものだ。









f0032712_10563924.jpgカラファテには、アルゼンチン湖という名前の湖があり野鳥も沢山いた。頭部が茶色のソリハシシギが珍しい。
カナダディアンロッキーの氷河を見て以来2回目の氷河見物である。ここはロキー山脈ではなくアンデス山脈である。
幅は、5KM,高さは60Mから高いところで100Mとのこと。








f0032712_10585062.jpg
f0032712_1113322.jpg
氷河は青白く輝いている。谷間には轟音とともに湖に崩れ落ちる姿があちらこちらに見える。
数万年前の氷が水に戻ろうとする瞬間である。
カナディアンろっきーのコロンビア大氷河より遥かに神秘的である。

ツアーには、ボートも付いていて水面から真近に見ることも出来る。
目の前で崩れると迫力がある。
この後、谷の上から見下ろす場所にも行ったが、雨が降り出し写真が取れなかった。


f0032712_1118015.jpgカラファテから飛行機で2時間でウシュアイアに着く。もうそろそろかなと思っていたら機首を下に向け急降下し始めた。一瞬、墜落が脳裏を掠めたが周囲は平然としている。着陸してから周囲を眺めたら空港は山脈に囲まれていた。だんだんに高度を下げられないのである。
世界最南端の町は雰囲気がある。
ティエラ デル フェゴ公園は本当に美しかった。
大きな刑務所跡が博物館になっていた。昔、犯罪者はここで森林伐採作業をさせられていたそうである。








f0032712_11201967.jpg
f0032712_11204933.jpg町をブラブラ歩いていたら、港に観光遊覧船があるのに気づいた。タクラマカン(双胴船)でビーグル水道を巡るものである。あちこちの岩場にはアザラシが寝そべっている。お母さんに寄りかかって寝ている赤ちゃんアザラシが可愛い。
岩場にペンギンの大群が見える。飛んでいるのもいる。ペンギンが飛ぶはずはない。近寄ったらお腹の白い鵜であった。
ここ、ウシュアイアは、南極観光クルーズ船の基地である。いつか南極観光をすることがあるだろうか?


f0032712_11263838.jpgアルゼンチン・ウルグアイ3
ホテルは、ビーグル水道が見えるコテージだった。従業員のお姉さんからティエラ デル フエゴ公園のツアーがあると聞いたので行くことにした。
公園内は、この世のだろうかと思うくらいどこも美しい風景だった。




ウシュアイアの大自然を堪能しブエノスアイレスに帰った。





f0032712_11293420.jpg
f0032712_11295678.jpgブエノスでは、フリアンのお母さん、マリア、クラウディア、マルセーラがラプラタ川の対岸、ウルグアイのコロニアに遊びに連れて行ってくれた。ラプラタ川はアルゼンチンとウルグアイの国境であり川幅は50KM余り。
船で国境を越えたのは始めてである。
コロニアは世界歴史遺産に登録されているところで、かつてスペインとポルトガルから交互に支配されたところ__で両方の文化が見られるそうである。

今と、昔の娘さん4人とコロニアの町を散策した。昼食は、川の畔のレストランでビールを飲みながら2時間を費やした。こちらでは時間の使い方が日本と異なる。
日本では2月であるが、南半球のこちらは夏である。足が痒いので良く見たら日本で冬眠していた水虫が目覚めていた。


f0032712_1133683.jpg田上さんの家の庭は広く、プロだけあって手入れが行き届いている。マルセーラは日本舞踊をするのでお土産には浴衣を持って行った。











f0032712_11344966.jpg帰国の日、フリアンの家で昼食のあと、皆で町に遊びに行った。初めて地下鉄にも乗った。1号線は、木製の椅子で扉も自動ではない。車体の揺れで自動的にしまる。
町では、いろいろな大道芸人がいる。アルゼンチンタンゴを見ることも出来た。




余談 (珍しい体験)
ブエノスアイレスからニューヨークに到着直前、急に腹痛をもよおしトイレに行きたくなった。しかし、ターミナルビルまではもちそうもない。意を決し飛行機のトイレに駆け込んだ。
用を足し水を流したその時、飛行機はトンと着陸した。世界中に旅行者多しと言えどもトイレで着陸したのは多分、私一人ではなかろうか?シートベルトは不要である。


(旅のエッセイ) 喜びと悲しみ

縁があって、アルゼンチン鹿児島県人会母県連絡所をしている関係で、県費留学生・研修生の彼らが、我が家にいろいろな国の若者を連れて遊びにやってくる。
 留学生だったフリアンからカラファテにあるペリトモレノ氷河の素晴らしさを聞いていたので行くことにした。ついでだから、マゼラン海峡とビーグル水道に挟まれた世界最南端の町ウシュアイアにも行くことにした。5年ぶり2回目の南米旅行である。
 交通費は、鹿児島―羽田間25,000円、成田―ニューヨーク間48,000円、ニューヨーク―ブエノスアイレス間68,000円で往復合計141,000円、それにアルゼンチン国内線が30,000円である。
 県人会役員の知人宅にお世話になり、そこからカラファテへ向かった。ホテルには英語を話せるウエイトレスがいて、彼女が食事の度に相手をしてくれた。カタリーナと言う名の可愛い娘である。帰る前夜、翌朝帰る旨話したら、彼女はいないと言うことで抱き合って頬にキスをして別れの挨拶をした。若い娘に限って日本でもこうしたいものだ。
 ペリトモレノ氷河はカラファテから2時間の距離である。氷河の全長は約35キロ、先端(氷河と川の境目)の幅は約5キロ、高さは60メートル程である。
最初、船から氷河の先端に近づいた。青白く輝く氷河は息をのむほど美しい。あちこちで轟音と共に氷河が崩れ落ち川に流れていく。
 次の展望台から見渡す氷河は、船から見上げるよりも迫力がある。谷間には轟音が轟き渡り静寂は訪れない。カナディアン・ロッキーのコロンビア氷河より素晴らしい。
 カラファテからウシュアイア迄は1時間余りである。もうそろそろかと思い外を見たら山脈の上を飛んでいる。突然、飛行機は機首を下げ急降下を始めた。「墜落」「不時着」の文字が頭をかすめたが無事、着陸した。空港から周囲を見渡したら山脈に囲まれている。その為にだんだんに高度を下げられないのであった。
 ウシュアイアのホテルは森の木々の間にビーグル水道が望める眺めの良いところにあった。ここでカタマランに乗りアザラシの生息地を見に行き4種類を見ることができた。岩場にペンギンの群れが見える。近づいてよく見たら腹の白い「鵜」であった。
 翌日は、ティエラ・デル・フェゴ国立公園や、世界の果て博物館、昔の刑務所を改装して作った船舶記念館などを見物した。世界の名だたる海難事故の名所、マゼラン海峡、ビーグル水道、ホーン岬の記録が展示されていた。
 ブエノスアイレスの知人宅は、私の部屋も含めバス・トイレ付きの部屋が4室ある。リビングの大理石のカウンターが11メートルあるようなお宅である。ここで県人会の皆さんが歓迎パーティを開いてくださった。
 帰国の前日、フリアンのお母さん、知人の娘さん、県費留学生に来ていた女性、今と昔の娘さん4人の女性がウルグアイのコロニアに連れて行ってくれた。ラ・プラタ川を挟んだブエノスアイレスの対岸に位置しているコロニアは、世界歴史遺産に登録されたところで、かつてスペインとポルトガルが支配を繰り返したところで両国の文明が見られる。
 ここで4人とビールを飲んだり、お喋りしたり、2時間かけての昼食を摂った。昼食に2時間かけるのは日本では考えられないが、こちらでは珍しくない。
 
東京での後泊があったので自宅に電話をいれた。悲しい知らせが待っていた。実の娘のようにしている韓国人の娘の彼氏が急死していた。近いうちに式を挙げさせたいと思っていたので愕然とした。彼女は、明日、韓国へ帰るという。私が鹿児島に到着した後の時間である。一人、夕食を摂りながら泣けてきた。
 翌日、鹿児島空港で会ったが慰めの言葉も出ない。
自宅に帰り着きダレヤメをしていたら、友人の娘から電話があった。「おじちゃん、疲れてなかったら明日、遊びに来ませんか?」とのことであった。ピンと来たので「結婚のこと?」と聞いた。友人とも飲みたかったので貰い物の日本酒を提げて行った。
次の旅行先が確定した。5月中旬、ハワイである。彼女の結婚式のために。
aaaa

 悲しみと喜び。変化が大きすぎる。  2003年2月
[PR]
by momodisk | 2007-05-16 10:41 | Comments(0)
<< バリローチェ・ イグアスの滝 南アメリカ >>