ゲストハウスと板門店

ゲストハウスと板門店
昔から、板門店に興味があり、韓国映画のJSA(共同警備区域)を見てから無性に行きたくなった。新潟からもソウル便があることを思い出し、友人夫婦に声をかけたら1日遅れで来ることになった。

f0032712_16483370.jpg初日は、韓国人の友人ジョンホ氏宅に泊まった。32坪のマンションで夫婦寝室はバス・トイレ付きである。韓国では家賃はなく借家人は敷金を払い、家主はそれを預金し5%程度の金利を家賃に充当している。因みに彼の家の敷金は2億ウオン(約2,000万円)である。いつものように家族全員で歓迎してくれた。











f0032712_1650559.jpg新潟の友人夫婦と合流し、丁度、ソウルに遊びに来ていたアルゼンチン、ブラジルからの留学生、それに鹿児島から韓国に語学留学中の女性、皆で南山タワーに登りソウルの夜景を楽しんだ。
その後、皆で賑やかに夕食をとった。











f0032712_16514432.jpgf0032712_1652165.jpgたまには韓国式旅館も良かろうと思い、インターネットで調べていたらゲストハウスがあり、アクセスしたら写真も付いておりそれ相応のグレードの旅館だろうと思い予約を入れた。町の中心部にも拘わらず、低層の古い住宅が密集している路地裏にあった。建物も古く、世界各地から来る若者が利用する所謂「学生宿」だった。
こちらも驚いたが、向こうも50年配の客が来て驚いただろう。洗面台の蛇口にホースがつながれておりシャワーのノズルが付いていた。つまりシャワー室なし、お湯なしである。
 でもパソコンは5台あり自由に使える。次の日はまともなホテルに移動した。
 そう言えば予約の時、余りにも料金が安かった事を思い出した。1泊2,000円

板門店の現地ツアーは、9時発、14時帰着の食事付きで6,500円であった。
 漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)の合流点に向かって走るうちに北朝鮮のスパイが侵入しないよう有刺鉄線が張られているのが見える。いよいよ雰囲気が出てきた感じである。学生時代に流行った「イムジンガン水清く」の歌を口ずさんだ。
 いよいよ到着。休戦ラインから南北に2キロ、この範囲が非武装地帯(DMZ)である。ソウルから60キロ、バスで約1時間の距離である。ここには民間人も暮らしていて静かな農村地帯で米と高麗人参を耕作しているそうである。

f0032712_16553339.jpgf0032712_1656488.jpgあの映画で見たJSA(共同警備区域)である。ここでツアーのバスを降り、軍用バスに乗り換える。この区域では移動中も見学中も護衛の国連軍のアメリカ兵がつき、見学者は2列に並び後ろから付いて行くことになる。
 軍事停戦委員会本会議場に着いた。映画で見たとおり兵士が足を広げ、いつでも銃を抜ける姿勢でビクとも動かずに立っている。場内ではこの兵士に触れないようにして写真を撮ることが許されている。ここでテーブルの中央に引いてある休戦ラインを超えて5メートル程、北朝鮮に入国した。



f0032712_1704665.jpgf0032712_171687.jpg映画と違うのは、北朝鮮の兵士はそこらにはおらず、遠くの北朝鮮側の「板門閣」に一人立っているのが見えるだけで緊張感は感じられない。










f0032712_16574918.jpgf0032712_16581321.jpgビデオで北朝鮮側を撮影した。人影は無い。

警備の国連軍の兵士は白人だった。











f0032712_174094.jpgf0032712_1742073.jpgボニファスキャンプでバイキングのランチが付いているツアーだった。
映画JSAの後、更に興味が募り「ブラザーフッド」、「シルミド」、「二重スパイ」等を見た。そして少し勉強してみた。
1945年、日本の降伏と同時に朝鮮半島は、38度線を境に米ソ分割占領が実施された。冷戦の深刻化により分断は固定化された。そして、1948年に南と北で別個に国家が樹立されることになった。
ここで北朝鮮は、1949年6月米が駐韓米軍を撤収し、続いて韓国と台湾を極東防御線(アチソン・ライン)から除外すると、韓国を共産化するため1950年6月25日奇襲を強行した。
3日後にはソウルが陥落し釜山を除く全地域が1ヶ月の間に共産軍の治下に入った。そして、国連軍が参戦しマッカサー将軍の指揮下で戦況を逆転させた。
映画「ブラザーフッド」を見てこれが良く分かった。兄弟愛を描いた映画だが凄い壮絶な戦争の方が印象に残った。この戦争は、3年間つづき、1953年7月27日悲劇の朝鮮戦争は休戦協定で一段落した。
子供ながらに戦争が終わったことは記憶している。そして日本は軍需で景気がよくなったことも。韓国軍と国連軍の死者が48万名、共産軍側が150万~200万余名で民間人の犠牲者も人口の15%に該当する450万名を超えたそうである。戦争期間中、100万余名の北朝鮮住民が越南し、370万余名の子供たちが父母を失った。そして1千万名の離散家族が生まれた。
50年を超えた今でも、この緊張関係は変わらず難しい問題を抱えている。
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by momodisk | 2007-06-20 15:30 | Comments(0)
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