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今日のコラム

第17回○○杯
二等雑魚寝(寝台ではない)、往復1万7千円のチケットを買い求めクイーンコーラル8で名瀬に行ってきた。
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昭和54年(1979年)から3年間、名瀬に赴任したとき、硬式テニスのクラブを作り市民に参加を呼びかけた。テニスと言えば、日本と台湾ぐらいでしか競技されない軟式テニスが主流で硬式テニスをする人は少なかったからである。そして、名瀬オープンという名で試合を開いていた。クラブ員外の参加も含め20~30人の参加があった。
試合の後は、我が家で酒を酌み交わし、何も反省しない?「反省会」をしていた。
数年が経ち、競技人口も増え、地元新聞社や金融機関がクラブ対抗や職域対抗の大会を開くようになり、名瀬オープンは止めてクラブ内で「(私の名前○○)杯」をすることにしたらしい。
この話があったとき、恥ずかしかったがカップを寄贈した。
それから、更に数年が経ち、友人が昨年、名瀬に転勤になり、名瀬クラブに入ったと言い「(○○杯」を見に来ませんかと誘いがあった。

およそ、個人名を冠した大会は、「その人が人格者であり、技量に優れ、そして貢献があった場合、故人を偲び作られる」ものと思っている。

私の場合、それのどれ一つにも該当しないので恥ずかしくて(「この話」、後段の歓迎会、送別会でウケた。)言を左右し行かなかった。
年が変わり、先日、彼から誘いの電話があり、別の人からも誘いがあったのでカップも古くなったことだろうし更新が必要だろうと思い行くことにした。
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着いた夜は、当時のメンバー、現在の役員など10人ほどから歓迎会をしていただいた。
25年ぶりに合うお互いは、老けている。当時中学生だった女の子は、39歳の2児の母になっていた。皆さんに逢えて懐かしくてうれしかった。

ところで、名瀬を離れて5年間位は、テニスをしていたが、その内、ゴルフにはまってしまいテニスはしなくなった。
ゴルフも3年間くらいは真っ黒になるくらい頑張ったが、もとより運動神経は鈍い方でうまくならない。その内、高い金を払って惨めな思いをする必要はないなと悟り、止めてしまった。
着いた日、翌日の試合に出るように言われた。20年間していないことを理由に固辞したが押し切られてしまった(友人が言うクラブのマドンナから.(女性には甘い))。早速、友人と練習を開始した。20年ぶりに握るラケットであるが思ったよりいける。試合当日の朝も練習をしてから競技場に行った。
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友人とダブルスを組み試合をしたが腕が痛くなりやっとの思いで一試合を終えた。その後は棄権である。矢張り、いきなりは無理である。
その夜、転勤するクラブ員の送別会があり、私も参加させて貰った。
ところで、クラブ員の皆さんは、私が生きている人であることは知っていたが、どんな人かは知らない。当然、かなりのお年寄りだろうと想像していたらしい。だから私を初めて見た人は、驚いていた。私の方こそ驚いた。
名瀬クラブは楽しい。老若男女、世代を超えていろいろな職業の人が集まりテニスを楽しんでいる。
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60歳になり、テニスを再開することにした。人生、どこに「きっかけ」があるか分からない。
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by momodisk | 2006-03-22 17:01 | Comments(1)